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  • Marii

生きがいスポットライトシリーズ:Takako H., Freelancer based in Kenya

Takako: 私は立ち止まりました...

「生き甲斐」という言葉は、日本人には馴染みのある言葉ですが、外国人にはやや抽象的な概念に感じられるかもしれません。


このシリーズを始めた動機は、現在世界中で注目を浴びている『生き甲斐図』に違和感を感じたことでした。この型にはまった『生きがい方式』が、本来の『生き甲斐』の意味合いとは違った形で一人歩きしているように思えるのです。



「生き甲斐」は、人生を豊かにするための一つの鍵であるとともに、一定の方程式を持たず、時とともに変化していくものだとMOGAMI 最上ウェルネスでは提案しています。



その一つのソルーションとして、『ありのままの自分・自分らしさ』を貫いている方々の実際の体験談や、ライフストーリーを皆さんと共有。そして、みなさん一人一人の心の内から生まれてくるであろう『生き甲斐』について、考えるきっかけになって欲しいと願っています。


MOGAMI 最上ウェルネスでは、この「生き甲斐」にスポットを当て、「生きがいスポットライトシリーズ」を配信してます。


今月のゲストは、ケニアを拠点に活動するフリーランサーのTakako H.さんです。


あなたのライフストーリー、これまでの経験や経緯を教えてください。


東京で生まれ、幼少のうちに親は離婚しましたが、その後ステップファミリーの中で育ちました。子ども時代、親子関係はあまり良好とは言えず、家の中でも学校でもいつも居場所がないような状態でした。

そういった中で、周囲の期待を読み取って、常に良い子でいたように思います。初めての反抗ともいえるのが20歳になってからのベトナム縦断旅行。


ここで、世界にはこんなにも日本と違う場所があるということ、英語ってすごい便利なツールだなということ、そしてこれまで反対されたら諦めていましたが、初めて自分の意思を旅行というカタチで突き通したことで解放され、こんな楽しいのかと旅に魅了されて、海外40か国ほど在学中は旅に出ました。

大学卒業後、新卒で大手電機メーカーに就職するもなかなか海外へ出られないので、海外ボランティアでトンガ王国で2年間暮らし、家族でも海外暮らしをしてみたいという想いから、紆余曲折を経て5年前に一眼発起してモンゴルへ。

現在はケニアで3人の娘と夫婦でフリーランスとして暮らしています。腰を据えて暮らしたいです。


「生き甲斐」という概念を初めて知ったのはいつ頃でしたか? 


生きがいという言葉自体は、子どものころから知っていました。32歳の時、子どもを二人生んだ後、キャリアの断続を経験する中で、自分が本当にしたいことって何だろうと改めて考える中で、「生きがい」についてもふっと考えたように思います。


自分の「生き甲斐」への道のり・ジャーニーはどのようなものでしたか?

私は娘が3人いて、彼女たちのためにもっと美しい社会を残す一端でありたい気持ちはあり、その一環としてコーチング、コンサルを日本の女性に提供しています。ですが、それが正確なところで生きがいかと言われると自信はないです。

何か1つだけを取って、生きがいとも言えませんし、私は家族がいるからこそ、自分のやりたいことにも情熱を注げる面が強い気がします。


私の場合は、あくまで自分の楽しいを追求していった結果、家族関係やライフスタイル、まだまだ小さいですが仕事もカタチになっていきました。これはすごく楽しいし、人生で初めて続けたい生き方とも言えます。

ですが現実的にはすべてのバランスを取りながら必死にやりくりしています。すべてをこの表のように美しいバランスで取れたら良いんですけどね。

なんとなく今はすべてを掴もうとせずにむしろそぎ落とす段階なきもします。





         講座生や個別相談の様子


「ありのままの自分」としていられると感じる瞬間は今の生活の中でどのような時ですか?


今の生活の中で言うと、私は子どもたちがキャッキャ笑っているときはこの時代がいつまでも続いてほしいと思います。

その一方で、ありのままの自分という意味では、フリーランスとして働きつつも、一日の中で子どもと接する時間がとても多く、息詰まることがあります。

そんな時に、空が青くて、空気が少し冷たい朝に1人で歩くとと正直ホッとします、それが「無の自分」な感じがして好きです。

母親、妻、コンサルコーチとして以外にも何者でもない私でいられることに今では安心感を感じます。役割だらけで疲れちゃいますからね(笑)


ケニアのウォークサファリにて


人生の中で思い悩んだ時期があれば、教えてください。その時、どのような概念やツールを使って乗り越えましたか?


幼少期も家族関係で悩みましたが、最近で言うと、31歳の時に、流産後、2人目不妊に2年間悩むと同時に転職活動が全くうまくいかず自信喪失しました。


自分の価値は何だろう?自分にできることって何?うまくいかないことが続いて、これまでの経験がすべて無意味なように感じた期間がトータルすると4年ほどつづきました。ちょうどその時に、実の父親が急死して焦ってあれもこれも手を出していた私は立ち止まりました。

概念やツールという意味では、セルフコーチングをしていましたが、それ以上に「人生は有限であること」を身をもって感じました。


思い悩んでいるときこそ、思い切って止まり、「自分は本当は何をしたいのか?」「やりたいことをやらなくて後悔しないか?子どものせいにしないか?」こんな問いを自分にかけて考えて、決めるしかないと思います。家族という守るものがあるからこそ、私はやりたいことはやるという姿勢を見せるようになりました。


結局、悩んでいるときは、決めていないです。

大きな行動を起こすと、悩む暇もなくなると思います。


生き甲斐を見つけるのに悩んでいる人へのアドバイスをお願いします。


生きがいというこうした図式が成り立つのは、現代社会が情報であふれかえっている証拠ですよね。そして、自分をエンターテインしてくれるものがたくさんありすぎて、自分で自分を楽しませることが出来なくなってる(考えなくなっている)だから、生きがいというか、シンプルに自分がやりたいこと、情熱を向けていいものへの迷いが生じるのではないでしょうか。

私はよく考えるのですが、死ぬ間際に、自分は誰になんて言葉を残すのか?何といわれたいのか?死に方を考えることは生き方を考えることに繋がります。

人生には限りがあるから、あれこれ考えず、やりたいことをやり、大切にしたいものを大切にする。きっとそこにヒントがあると私は信じています。


ケニア最大のスラム、キベラスラムにて


Saori's reflection


I couldn't help but close my eyes and imagine how peaceful it must feel when walking in the mornings alone on a crisp, blue sky, sunny day in Kenya. The importance of your "empty self (mu no jibun 無の自分)" particularly resonated as it aligns with Mogami's commitment to empowering individuals to be their authentic selves - which goes beyond labels, as Takako-san so powerfully mentioned. Perhaps the idea of "emptiness" has a negative connotation in Western society. However, I don't find this to be the case in many Eastern countries. I took Takako-san's Ikigai story as a reminder to see ourselves beyond labels. If we can perhaps unlearn what society has "told" us to be, we can start living as our "empty" or "authentic" selves.

Do you want to learn more?

For more of Takako, you can find & support her on her Instagram @takako.in.kenya.


The reflection and journey of the other pieces guide us to a life of Ikigai. Ikigai is a journey, not a destination. It is the outcome of being able to live as your authentic self in your everyday life.


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