Ikigai Spotlight Series: オーストラリア・バレエ団のシニア・アーティスト 山田悠未
- Marii
- 10月27日
- 読了時間: 11分
発見の喜びに満ちた、バレエと歩む人生
「生き甲斐」という言葉は、日本人には馴染みのある言葉ですが、外国人にはやや抽象的な概念に感じられるかもしれません。
このシリーズを始めた動機は、現在世界中で注目を浴びている『生き甲斐図』に違和感を感じたことでした。この型にはまった『生き甲斐方式』が、本来の『生き甲斐』の意味合いとは違った形で一人歩きしているように思えるのです。
「生き甲斐」は、人生を豊かにするための一つの鍵であるとともに、一定の方程式を持たず、時とともに変化していくものだとMOGAMI 最上ウェルネスでは提案しています。
その一つのソルーションとして、『ありのままの自分・自分らしさ』を貫いている方々の実際の体験談や、ライフストーリーを皆さんと共有。そして、みなさん一人一人の心の内から生まれてくるであろう『生き甲斐』について、考えるきっかけになって欲しいと願っています。
MOGAMI 最上ウェルネスでは、この「生き甲斐」にスポットを当て、「生き甲斐スポットライトシリーズ」を配信してます。
今月の特集ゲストは、オーストラリア・バレエ団シニアアーティストの山田悠未(Yuumi Yamada)さん。日本から世界の舞台へと羽ばたいたその歩みは、努力と成長、そして踊りを通じて見つけ続ける「発見の喜び」を体現しています。

まずは自己紹介も含めて、ダンスとこれまでの歩みについて、自由に教えてもらえますか?
山田悠未です。現在、オーストラリア・バレエ団でシニア・アーティストを務めさせていただいています。私のバレエの始まりは3歳か4歳頃、親戚のバレエスタジオの発表会に招かれて観に行ったのが元です。発表会では自分と同じくらいの年齢の子たちがチュチュやキラキラした衣装を着て舞台で踊っていて、それがとても楽しそうに見えて「自分もやってみたい」と思いました。
その後、母と一緒にそのスタジオのレッスンを見学に行きました。まだ小さい頃はストレッチやスキップだけのクラスでしたが、それがすごく楽しくて、自分も一緒にやるようになり、そこからどっぷりバレエの世界にハマりました。そのスタジオで学んだのは、3〜4歳から日本を離れる15歳まで、ほぼ10年間です。
日本のバレエコンクールに初めて出場したのは10歳の頃で、憧れを抱きながら出続けましたが、まだ「絶対にバレエダンサーになる」という覚悟はなく、友達がやっているから自分もやってみようという気持ちでした。
転機となったのは、YAGP (Youth America Grand Prix) 日本予選に出場したときです。留学支援をしている川西 晴子さんに「オーストラリア・バレエ・スクールが悠未に合っていると思う」と声をかけてくれました。当時の私はオーストラリアにバレエ団があることすら知りませんでした。コンクールから数か月後、2011年に初めてオーストラリア・バレエ・スクール(ABS)のITP(インターナショナル・トレーニング・プログラム)に2週間ほど参加し、そこで当時の校長ミス・ロールズ(Ms. Rowles)に出会いました。彼女は私をとても気に入ってくれて、次のコンクールに備えていたソロも見てもらいました。
翌年、再びYAGPでお会いした際にABSから正式なスカラシップをいただき、「今できるなら絶対挑戦したい」と思い、15歳で家族と離れて、メルボルンを拠点とするオーストラリア・バレエ・スクールに入学しました。

生き甲斐について、または大切にしている想いがあれば教えてください。
「自分の生き甲斐は何だろう」と考えたときに、やっぱりバレエしかないと思います。その理由はいくつかありますが、まず大きいのは同僚の存在です。仕事をする中で、同僚たちと自分の好きなことを切磋琢磨しながら取り組み、自分のやりたいことを上達させていけることは、私にとって大きな喜びです。もちろん楽しいことばかりではなく、辛いことや悲しいこともありますが、同僚がいることで感情をシェアしたり支え合ったりできるのは心強いです。

二つ目は、コーチや振付家の方々と一緒に仕事ができることです。リハーサルを通して、ムーブメントの発見だけでなく、考え方などの新しい学びも得られます。彼らにとって作品はその人の感じたものを形にしたものであり、その作品に携われること自体が本当に嬉しいです。例えば、シルヴィ・ギエム(2015年に引退したフランス出身の世界的バレエダンサー)にコーチングを受ける機会もありました。コーチによって伝え方や経験に基づくアドバイスはさまざまで、学びは本当に尽きません。
最後に、公演そのものもバレエの大きな要素です。公演のあとにお客様から「良かったよ」とか「動かされた(“I was moved”)」といったフィードバックをいただくと、日々のハードワークが有意義なものに感じられますし、それもまた自分にとっての大きな生き甲斐になっていると思います。
今の暮らしや活動は、ご自身の本音や大切にしている価値観をどのように反映していますか?
この仕事は体が資本なので、朝や仕事が始まる前にはしっかりウォームアップをしますし、夜は体が痛くなることも多いので、自分でマッサージをしたり、栄養をきちんと摂れているかを意識したりと、体のケアには常に気を配っています。多分、無意識のうちにバレエが自分の中ですごく大きな存在になっているんだと思います。
ただ、その中でも自分が休める方法が一つあって、それがゲームをすることです。今は「マインクラフト」にハマっているのですが、プレイしている間は完全にバレエから離れて、自分だけの時間を楽しめます。バレエから離れる時間があるからこそ、仕事のときにはまたしっかりフォーカス(集中)できて、その切り替えができていると感じます。

人生の中で迷いを感じた時はありましたか?その時どのような考え方やツールが助けになりましたか?
大きく分けて2つの迷いや苦労の時期がありました。
一つ目は、父方の祖父母が亡くなってしまった時です。数年前のことですが、まだおじいちゃんとおばあちゃんに自分の公演を見せられていないまま旅立ってしまったのがすごく悔しかった。バレエをしてオーストラリアにいたから、ほとんど一緒に時間を過ごせなかったんです。もちろん毎年クリスマスやお正月には日本に帰って会えましたが、それも本当に短い間でした。その時は「バレエを選んでしまって後悔したかな」、「もし日本にいれば、もっと思い出を作れたのかな」と思いました。自分の好きなバレエを見せることも叶わず、悲しくて、またバレエを頑張ろうという気持ちになるのが難しかったです。
ただ、その中で親に「天国から見てるから」と言われました。その言葉にグッときて、きっとどこかで見てくれているだろうと思いながら頑張れました。ちょうど公演シーズン中だったので忙しく、同僚のサポートも大きかったです。逆にそれが良かったのかもしれません。もし忙しくなかったら、悲しみにどっぷり浸ってしまっていたと思います。
二つ目は本当につい最近、ここ2年くらいのことです。自分がやりたい役をもらえなかったり、キャストに選ばれなかったりしました。時には、自分ではやりたくない役を任されることもあって、本当にモチベーションが上がらなかった。舞台に立つこと自体はどの役も大事だと思っていますが、やっぱり「自分がやりたいものをやれない」というのは悔しい。しかもそれがシニアアーティストに昇格した後のことで、カンパニーの中での自分の価値が分からなくなり、不安も大きかったです。配役は自分で決められるものではないので、ただ待つしかなく、とても辛い時期でした。
そんな時、プリンシパルの方に相談したら「人生にはタイミングがある」と言われたんです。その言葉にすごく納得して、「今のタイミングじゃなくても、きっとまたチャンスが来るかもしれない」と思えるようになり、少しポジティブに考えられるようになりました。
今までずっと「バレエ、バレエ」と走り続けてきたので、バレエ以外の人生について考える時間がなかったかもしれません。この2年間は、役をもらえず少し余裕があった分、「バレエはバレエ、人生は人生」と切り替えられるようになりました。また、「山田悠未、バレエダンサー」ではなく、一人の「山田悠未」として、自分は誰なのかを考える良い時期にもなったと思います。
2025年5月にオーストラリア・バレエ団が15年ぶりに来日した『ドン・キホーテ』の公演で、主役のキトリはやりたい役のひとつでしたか?
はい、この役があったからこそ、少しネガティブだった思考から抜け出せて、マインドも少し変わったと思います。今回は、シニア・アーティストでありながら、プリンシパル・ロールにあたる主要な役をいただきました。これを通して、もし自分がプリンシパルになれた時にどのようなメンタリティで過ごしたいか、前向きなマインドセットを身につけられたと思います。今もまだ学び続けていますが、自分の中でまた一歩ステップアップできたと感じています。

今回は、悠未が出演する『ドン・キホーテ』の公演を家族も観に来ましたが、どんな反応でしたか?
私の両親はあまり言葉では伝えない人ですが、すごく喜んでくれていました。母方のおじいちゃんとおばあちゃんも来てくれました。私が15歳で日本を離れて以来、日本で公演をする機会はほとんどなく、おじいちゃんとおばあちゃんもオーストラリアに来られなかったので、ずっと舞台を直接見せられなかったんです。リハーサルの動画や、ドレスリハーサルの短い映像しか見せられなかったのですが、今回は本物の舞台を見せることができて、本当に嬉しかったです。

自分の生き甲斐が分からない、見つけられないなど、迷ったり悩んだりしている人がいれば、どのような言葉をかけたいですか?
私は生き甲斐を探さなくていいと思っていて、探してから自分の人生を歩むというよりは、自分が好きなことにフォーカスしたり、熱心になれるものをやっていれば、だんだんと生き甲斐なども分かってくるのかなと思っています。「焦らなくてもいいよ」と伝えたいです。
「私の生き甲斐は何々です」という明確なステータスがなくても全然大丈夫だと思います。何個あってもいいですし、ゼロ個でもいい。人生は一度きりなので、自分が生きたい人生を歩めればそれでいいと思います。
若い頃の自分にはどのような言葉をかけたいですか?
若い頃の自分には、とにかく「go for it」と言いたいです。本当に好きなことがあれば、迷わず挑戦してほしい。
入団した頃は、周りを気にして控えめになりがちでした。言われたことだけをこなして、それ以上は自分を出さない自分がいました。でも、若いダンサーたちを見ていると、全力で自分を表現していて羨ましいなと思います。もし当時の自分も周りを気にせず全力でやっていたら、今以上のキャリアを築けたかもしれません(もちろん今のキャリアにも満足しています)。多分そこには「Japanese thinking」、日本人らしい謙遜みたいなものもあったのかもしれません。だから、若い自分にも「怖がらず、just go for it」と伝えたいです。

周囲からの期待と、自分の思いや本当の自分らしさを、どうやってバランスを取っていますか?
最近、自分なりのプレッシャーへの向き合い方を見つけました。もちろん、直近の『ドン・キホーテ』の公演でも大きなプレッシャーを感じました。急に主役を任され、短いリハーサル時間で準備するのは大変でした。
昔は、周りの目を気にしすぎて自分の集中が散ってしまい、うまくいかないこともありました。でも最近は自分にフォーカスできるようになり、周りをシャットダウンする感覚を身につけました。大きなプレッシャーの中でも、自分がやりたいことに集中できるようになっています。
考え方の軸としては、プリンシパルから教わった「One step at a time. Focus on one step, one thing at a time」という言葉が響きました。先のことを考えすぎず、今できることに集中して繰り返していく、それが結果につながると実感しています。

最後に伝えたいことはありますか?
自分が好きなバレエを仕事としてできることは本当に嬉しく、心から天職だと思っています。こんなふうに人生を過ごせるのは世界でも滅多にないことで、本当に感謝しています。
Do you want to learn more?
山田悠未のご活動の様子は、こちらからもご覧いただけます。
Reflection by Emma Launder, Guest Contributor

悠未と私は、2013年から2014年にかけてオーストラリア・バレエ・スクールで同じクラスに在籍していました。私はその後バレエの世界から離れましたが、今も遠くから友人たちの夢の実現を応援することに大きな喜びを感じています。そして、ずっと悠未にインタビューしたいと思っていました。
今年、東京文化会館で上演された『ドン・キホーテ』で悠未がキトリを演じる姿を観る機会に恵まれました。その舞台は本当に圧巻で、友人としての誇らしさと同時に、深い尊敬の念を抱かずにはいられませんでした。あのレベルで踊るために費やされた何時間、何日、そして何年もの努力は、想像を超えるものです。
悠未はまさに「ダンサーの精神」を体現しています。常に学び、進化し、動きを通して新たな喜びを見出し、バレエという芸術を通じて自分自身を最も深く表現しているのです。煌びやかな衣装や舞台の魔法の裏にある、本当の輝きは、彼女自身の内面にあるといえるでしょう。
About Emma: エマは「日出づる国」と「長い白い雲の国」──つまり日本とニュージーランド──の出身です。「なぜ?」「私たちは何のためにここにいるのか?」という問いを抱き続け、その探求心が人生の大きなテーマ、とりわけ「生き甲斐(Ikigai)」への関心へとつながりました。現在は東京を拠点に、カウンセリング・クリニックで勤務しています。




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